「ナラティヴ」の定義

「ナラティヴ」という言葉を特に最近よく耳にするようになりました。しかし、ナラティヴを単なる「語り」と誤解している場合もあるように思えます。

ナラティヴの定義

 リースマンによれば、ナラティヴという概念の定義は研究者によって異なりますが、整理すると以下のような特色を持つものと言うことができます。

  1. 特徴的な〈構造〉を持つ。
  2. 〈時間の流れ〉と〈起こった出来事の報告〉を含む。
  3. 語り手が聞き手に対して、出来事を〈再現〉してみせる(実際にあったのだと〈説得〉する)。
  4. 聴衆の〈感情〉に働きかける。
  5. 研究インタビューや治療的会話の中での〈長い語り〉である。
  6. 〈ライフストーリー〉である。

 このうち、1.〜4.は、「語り」がナラティヴであるための条件を示しています。「今日、学校に行ったよ。」はナラティヴではないでしょう。時間の流れを表現していませんし、出来事の再現がほとんどな、これを聞いた人が感情を揺さぶられることもまずないでしょう。

 ところが、「今日、学校で新しい友達ができたけど、ケンカをしちゃったよ。」はナラティヴと言えるかもしれません。なぜなら、時間の流れを感じさせます(「学校に行った」「ケンカをした」という2つの時間を含んでいます)し、この話を聞いた人はちょっと感情を揺さぶられ、「どうして?」「何があったの?」とさらに聞きたくなるでしょう。

 これに対して、5.と6.は、研究者が行う調査や、医療従事者が治療などの中で行う会話の中で現れるナラティヴの条件を示しています。ひとまとまりの長い「まとまり」をナラティヴと捉える人もいれば、もっと大きな「人生についての物語」でないとナラティヴと見なさない人もいるのです。

 このような定義が何の役に立つのかと思われるかもしれませんが、こうした定義をきちんと踏まえてナラティヴを論じることが、このテーマを考える際にとても大切なことだと思います。


ケアとしてのナラティヴ・アプローチ

 ナラティヴ・アプローチの中には、臨床心理分野の「ナラティヴ・セラピー」のように本格的な介入実践もありますが、医療現場で医師や看護師などによって行われている例もあります。「ディグニティ・セラピー」や「人生紙芝居」などはその好例でしょう。

 また、ケア提供者同士がお互いの話を聞き合う実践も、かなり広く行われているようです。これらを整理すると、〈語り〉、〈意味〉、〈ケア〉という3つの探求がなされていると言えるかもしれません。〈語り〉とは、患者や医療従事者等の「語り」や「言葉」の探求であり、〈意味〉とは、そこに含まれる価値や評価の探求です。〈ケア〉とは、語り聞く関係そのものがケアを構成するという側面の探求です。私の究極の関心は、どうしてナラティヴがこうした働きをなし得るのかを知ることにあります。


© Michio Miyasaka 2014