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出生前検査の決定を支援するケアのランダム化比較試験 ―オタワ個人意思決定ガイドが葛藤に及ぼす効果―

聖路加看護大学 母性看護・助産学研究室 有森直子

I.序論

1.問題の背景

日本の出生数が年々減少する中で、35歳以上の母親の出生数は30年前と比較して1.5倍に増加し、出生数全体の約12%を占めるに至った。高齢妊娠は先天異常の出生頻度の増加が懸念され、羊水検査の件数は10,627件/年(2002年)と20年前の10倍に増加している。出生前検査を受ける女性の身体的・心理社会的課題は国内外で報告されている。すなわち妊婦は出生前検査の結果によっては人工妊娠中絶を選択することの罪悪感、疎外感や絶望等、ハンディキャップをもった子どもを生み育てていく重圧というさまざまな葛藤を抱きながら人工妊娠中絶の可能な時期までに検査をするかどうかを決めるという困難に迫られている。出生前検査を含めた遺伝カウンセリング体制の整備等が始められているが看護職が行う決定を支援する具体的なツールはみられない。
したがって妊婦が出生前検査について決定を行う際に役立つケアを開発しその効果を明らかにすることは、妊婦が決定に伴う葛藤をより助長することなく意思決定のプロセスをたどることに貢献すると考える。

2.概念枠組み

本研究は、健康の領域の活用も実証されているO’Connorの決定サポート枠組み(Decision Support Framework 以後DSF)に基づく。DSFは個人の価値観や特性を尊重する「(1)決定に関するニーズのアセスメント」、決定と意思決定の過程の質を改善することをめざした「(2)決定の支援の実施」、意思決定のプロセスと決定の成果としての「(3)評価」から構成される。
看護師がオタワ個人意思決定ガイドを用いて出生前検査についての決定の支援を行うことは、妊婦の出生前検査に関する意思決定のプロセスの評価の一つである葛藤及び自尊感情に効果をもたらすと推測される。

3.研究目的

本研究の目的は、周産期遺伝相談を訪れた出生前検査を検討している妊婦に対し、看護師がオタワ個人意思決定ガイドのリーフレットを用いて決定の支援を実施した群としない群を比較し、決定に関する葛藤に及ぼす効果を明らかにする。

II.研究の対象と方法

1.デザイン

本研究は、ランダムに割り付けた実験群と対照群を用いた実験研究デザインである。
実験群は、看護師がオタワ個人意思決定ガイドのリーフレットを用いて決定の支援を対面にて実施した。その後妊婦の要請に応じて、妊婦の悩みや心配に関する話の傾聴及び共感や質問への対応等のフォローアップを実施した。
対照群には看護師がオタワ個人意思決定ガイドのリーフレットを用いた決定の支援を行わず、妊婦の要請に応じて実験群と同様のフォローアップを実施した。

2.対象

リクルートは、2004年5月から2005年2月の期間に行われた。研究対象施設は、産科医師が遺伝相談を開設し、生殖補助医療施設を併設している。遺伝相談は産科医師単独で30分間個室にて行われている。
対象は、研究施設の遺伝相談を予約しそこに訪れた妊婦で次の条件(重篤な精神疾患を持たない、日本語が話せる)を満たす者とした。

3.アウトカムの測定用具

1)Primary outcomeは、決定に関する葛藤とし、Decisional Conflict Scale(DCS)で測定した。本尺度は「とてもそう思う」から「全くそう思わない」までの5段階のリッカート尺度である。得点が高いほど葛藤が高い。DCS2以下は「低い葛藤」であり決定が要であることを示し、2.5以上を「高い葛藤」であり、決定の遅延や健康状態にも影響を及ぼすとされている。今回2をこえるものは「中等度および高い葛藤」として用いた。本尺度は翻訳、反訳された(日本版DCS)。
因子分析の結果、第I因子は、「選択肢の情報不足と価値観の不明瞭な感覚」、第II因子は「決定の質の認識」、第III因子は「情報に関するアドバイスの不足」、第IV因子は「不確かさ」、第V因子は、「他者からサポートされていない感覚」を表していた。Cronbach’s αは、尺度全体で0.866、内的一貫性は保たれていた。

2)Secondly outcomeは、自尊感情とした。

3)デモグラフィックスは、対象の特性として産科学的特性のほかに遺伝的再発のリスクの有無、決定の段階や決定における役割、最終的な検査の決定について回答を得た。

4.手順

対象施設受付担当者が来院した妊婦に本研究を紹介し、面接者が遺伝相談来院者に関する情報は本人の承諾を得てアクセスした。無作為化は、封筒法にて管理された。無作為割付はブロックサイズを4として置換ブロック法が用いられた。2群に割り付けられた結果は不透明な封筒の中で隠されていた。遺伝相談を実施する医師には、2群の割り付けを盲検化された。無作為化および割付表の管理は面接者以外のリサーチアシスタントが行った。
サンプル数の見積もりでは、決定に関する葛藤は、既存の文献よりeffect sizeを0.6、α=0.05、β=0.2に設定した結果、2群の平均点の差の検定に必要なサンプル数は1群あたり44名と算出された。脱落率を1割として1群48名計96名を予定した。
コーディング及びデータ入力は面接者以外のリサーチアシスタントが行った。分析には、SPSS(ver13.OJ)を用いた。DCSやSEの介入前後の較差は独立したt検定、葛藤の高低を示す基準(DCS>2)を用いたRR、ARRは95%信頼区間を算出した。すべての検定は両側5%有意水準とした。

5.通常の遺伝相談

対象施設の通常の遺伝相談は、医師が単独で30分を原則として行われ看護師の同席はない。医師は、出生前検査に関連する染色体等の臨床遺伝学的情報及び、羊水検査等の出生前検査についての方法、検査によって明らかになることの限界、検査による流産等のリスクの確率、検査後の生活上の注意について説明する。今回の研究においては、実験群・対照群一律に上記の遺伝相談が行われた。

6.介入

1)実験群
看護師は医師による遺伝相談に同席した後、決定の支援として「オタワ個人意思決定ガイド」(研究者により翻訳反訳された)のリーフレットを用い対面にて実施した。すなわちオタワ個人意思決定ガイドについて説明し、その後(1)意思決定を明確にする、(2)意思決定における自分の役割を特定する、(3)自分の意思決定のニーズを見極める、(4)選択肢を比較検討する、(5)次のステップを計画するについて順を追って妊婦との対話を通して確認をした。 リーフレットを用いた決定の支援以外に、妊婦の要請に応じて遺伝相談を受けたあとのフォローアップを行った。介入を行った看護師3名は遺伝看護および遺伝相談の研修内容を習得している。

2)対照群
看護師は医師による遺伝相談に同席した後、対照群には「オタワ個人意思決定ガイド」を用いた決定の支援を行わず、妊婦の要請に応じて実験群と同様のフォローアップを実施した。ケアを行った看護師は5名である。内3名は実験群と同一の看護師であった。
本研究は研究計画書の段階で聖路加看護大学倫理審査委員会及び、当該医療施設の倫理委員会より承認された。

III.結果

1.対照の基本特性

調査期間中、159名の女性が遺伝相談を予約しその内、118名(74.2%)が適格条件に合致していた。118名の妊婦の中で22名が拒否をし、96名の適格条件に合致した妊婦が実験群か対照群に無作為に割り付けられた。介入後の時点では実験群(40名83.3%)対照群(43名89.6%)、脱落率は13%程度であった。
デモグラフィックに関するベースラインデータは2群間で違いはみられなかった。
最終的に検査を受けると決めた妊婦は、実験群で30名(66.7%)対照群では31名(64.6%)であり、実際に受けると決めた検査の種類は実験群が羊水検査18名(40.0%)、対照群は22名(45.8%)と違いは見られなかった。

2.「決定に関する葛藤」および「自尊感情」の介入前後の概要

介入前の日本版DCSの尺度全体では実験群2.19(SD=0.44)対照群2.38(SD=0.49)と2群間に有意差は認められなかったが、介入後のDCS尺度全体では実験群2.00(SD=0.52)、対照群2.23(SD=0.44)と介入後には有意差がみとめられ、実験群の方が葛藤としては低値であった(p=.04)。最終的な決定をするまでの期間は両群において有意差はみられなかった。SEは介入前後ともに2群間の有意差は認められなかった。

3.Primary outcome:「決定に関する葛藤」における2群間の比較

介入前に未回答であった「意思決定の質の認識」4項目に個人の回答傾向(介入前)を代入することで、介入後の回収数83名にて較差を求めた。実験群で-0.24(SD=0.51)であり対照群は-0.19(SD=0.35)と2群間で有意差はなかった(p=.65) 背景因子の違いによる介入前後の較差を2群で比較した結果、以下の特性をもつ妊婦集団に対して、介入により第II因子:決定に質の評価についての較差において有意な差が認められた。((1)初産婦、(t=-2.4,p=.019)。(2)高齢齢以外に複数のリスクをもつ妊婦(t=-2.4,p=.023)。(3)検査について決定していない妊婦(t=-2.2,p=.031)。(4)介入前のDCSの平均得点が2.5以上の葛藤の高い妊婦(t=–2.4,p=.023)。(5)(最終)決定を下すまでの期間が13日以下であった妊婦(t=2.01,p=.043))。
介入前後においてDCS尺度全体で低下した人の人数は実験群30名(75%)、対照群30名(69.8%)両群に有意差は認められなかった。また上昇したグループにおいて介入後に「高い葛藤」の範囲にあった人数は、実験群5名(50%)、対照5名(38.5%)両群で有意差はみられなかった。
effect sizeは尺度全体では当初見積もった0.6と比べて0.09と低かった。因子別にみると第II因子:決定の質の評価(0.27)が他の因子(-0.03?0.09)に比較して最も高かった。
介入前には両群に差異はみられなかったが、介入後は「中等度および高い葛藤」(平均得点2をこえる)は実験群19名(47.5%)対照群31名(72.1%)あり、発生頻度の差異が認められた。(相対危険率(RR)=0.66,95%CI=0.45-0.96、絶対リスク減少(ARR)=0.25,CI=0.04-0.45、治療必要数(NNT)=4)。

4.Secondary outcome:自尊感情における2群の比較

SEの介入前後の較差は実験群で-0.08(SD=2.58)、対照群で0.07(SD=2.89)と2群間で有意差はなかった。

IV.考察

1.出生前検査をうける妊婦の葛藤

本研究において、加入後のDCS2.0は、北米の結果と同様であったが、介入前のDCS2.19は北米の2.7に比して低い結果であった。これは、北米の報告は全く医師に会う前に介入前DCSを収集しているのに対し、本研究は医師による遺伝相談後に介入前のDCSを収集した。そのため、本研究では医師による決定の支援が、葛藤を低下させたと考えられる。
介入前後の較差および「高い葛藤」の人数の推移より、最終的な決定をした時点では、DCSは低下しておりこれは北米の結果を支持していた。
しかし、決定をした後(介入後)も「中等度および高い葛藤」にある妊婦は実験群で半数、対照群では7割認めら、特に第IV因子「不確かさ」は介入前後においても2.5と高い値にあった。このように、決定後も葛藤が引き続くことは北米および本邦における結果を支持するものであった。

2.決定の支援の効果

1)両群の介入前後の較差
介入前後のDCSにおける較差は、2群間での有意差はみとめられなかった。また、介入は「中等度および高い葛藤」の比率を低下させることに効果がみとめられ、北米における結果を支持するものであった。
今回介入の効果としての較差に差異がみとめられなかったのは、両群への介入内容が近似したことに起因すると推測される。すなわち今回の介入としたオタワ個人意思決定ガイド4段階目:「選択肢を比較検討する」以外の(1)意思決定を明確にする、(2)意思決定における自分の役割を特定する、(3)自分の意思決定のニーズを見極める、(5)次のステップを計画するという支援は、医師の遺伝相談および看護師のフォローアップにより重複して両群に行われていた。今後、対照群に対して看護師の介入を一切行わないこと、また、遺伝相談が始まる前(医師の遺伝相談が入る前)と介入後の比較をする研究デザインが求められる。

2)対象の特性別にみた決定の支援
対象の特性別に決定の支援の効果については、第II因子:決定の質の評価においてのみ、以下の5つ特性をもつ集団に有意差がみとめられた。すなわち、(1)初産婦、(2)高齢以外に複数のリスクをもつ妊婦、(3)検査について決定していない妊婦、(4)介入前のDCSの平均得点が2.5以上の葛藤の高い妊婦、(5)(最終)決定を下すまでの期間が13日以下の妊婦の集団である。今後の研究において対象の条件への再考が示唆された。

3.決定の支援と自尊感情

自尊感情は2群において介入前後の較差に有意差はなく、両群ともに自尊感情が低下することなく維持された。また今回の対象となった妊婦のSEの得点は実験群37.05(SD=6.05)、対照群35.48(SD=4.61)であり、妊娠14?25週の妊婦に行ったSE得点(片岡,2004)におけるドメステックバイオレンスを受けた女性(n=80)34.56(SD=6.53)と受けなかった女性(n=248)38.22(SD=5.50)の中間に位置する値であった。

4.臨床におけるオタワ個人意思決定ガイドの有用性

今回本邦において初めて使用されたオタワ個人意思決定ガイドとして「決定の支援」がリーフレットとして提供されることは、医療者から提供される「決定のサポート」の質を均一化する点での貢献が期待され、さらに「決定の支援」が医療の場で提供されるケアであることをクライエントに伝える意味でも今後広く臨床において活用されることが期待される。また、オタワ個人意思決定ガイドは、今回のような出生前検査といった医療のみに限らず進学・就職等ライフサイクルのあらゆる場面で活用されること、およびにインターネット上で広く紹介され専門職によるフォローアップまで行う体制での活用が期待される。

5.研究の限界と今後の課題

1)介入の近似性をさけるために、看護師が関わらない対照群を設け比較を行うこと、また医師による遺伝相談前に介入前のデータを収集する研究デザインが求められる。

2)日本版DCSは、本研究において信頼性と妥当性の検討を行い因子分析の結果、元尺度の構成から大きく変わるものではなかったが、日本語の翻訳上の課題が明らかとなった。さらにDCSは介入前に回答できない項目がある。今後異なる集団にDCSを活用することで、翻訳上の課題についてさらに検討する必要がある。

V.結論

本研究は看護師がリーフレット「オタワ個人意思決定ガイド」を用い対面にて決定の支援を実施した実験群と、それを行わない対照群の比較により決定に関する葛藤の効果を明らかにした。
その結果「オタワ個人意思決定ガイド」が「決定における葛藤」にもたらす明らかな効果は認められなかった。しかし本ガイドはその他に明らかな害や不都合も認められなかった。従って本研究の結果は、本ガイドの臨床での実用化を妨げるものではない。