宮坂道夫研究室からのお知らせ

  • 『対話と承認のケア:ナラティヴが生み出す世界』が、第15回日本医学哲学・倫理学会 学会賞を受賞しました!!(2021年11月29日)
    同学会より、以下の理由により対象書籍として推薦され授与が決定したことをご連絡いただきました。「本書は、ナラティヴに関する多様な議論と実践を、歴史や哲学の議論を踏まえて、明快に論じられた好著である。「実在論」と「構築論」という切り口で独自の仕方で論点を整理され、ナラティヴがケアとして成⽴する根拠と対話実践への協働の姿勢が求められることを、説得性をもって論じられていた。著者が⽴てた仮説、そして問いに対して、各章で丁寧に応じられており、構成の一貫性、及び示唆に富んだ考察が高く評価された。」
    同じ領域の研究者の皆様からご評価いただけたことを大変嬉しくまた光栄に存じます。さらなる研究に邁進していきたいと思います。ありがとうございました。

    本書についての詳細はこちらをご覧ください。


  

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  • 「臨床心理学」増刊第13号(特集「治療文化の考古学」)に寄稿しました。(2021年8月29日)
    「対話と倫理 —  正しさの在処(ありか)」という論考を寄稿しました。以下、いちばん面白い部分といいますか、これからの課題として考えていきたい部分の抜粋です。

     ただし、ケア実践の現場での対話には、構造的な不均衡があるということを、あらためて指摘しておかなければならない。少なくとも職業的になされるケアにおいては、被ケア者が抱える問題の解決を求めてケア者と相対することで、対話が始まる。そのために、対話の成立にはケア者の側が責任を負うという片務性が生じる。ケア者が聞き手になる場面では、ケア者には適切な質問をして被ケア者の話を引き出す責任がある。逆に、ケア者が語り手になる場面では、専門的な用語を避けてわかりやすく語り、ときには自分の話が十分に通じているかを確認する責任がケア者の側にある。
     このような片務性がなぜ生じるのかというと、被ケア者の抱える問題を解決・軽減する手段をケア者が提供でき、それによって対価を得てもいるからである。逆に言えば、ケア者が問題の解決や軽減のための手段を持たないような課題を前にした場合には、その前提が崩れることになる。先に列挙したいくつものカタカナ言葉のうち、インフォームド・コンセント以外のほぼすべてが、ケア者の側が決定的な解決手段を提供できない場合、すなわち根治が難しい疾患や、終末期医療などでは、特に必要なものとされる。そのような課題については、患者が手段を選び、意思決定を行い、医療従事者に指示を出し、ケアの計画をすることが望ましいと見なされる。そのために、問題解決の手段を持たない無力さや、弱さのようなものを自覚する限りにおいて、医療従事者が患者に対話を持ちかけるのではないかという、やや意地悪な見方も成り立つように思う。
     こうして、対話的な営みとしての倫理が成立するためには、対話をする人が各々に自らの弱さを自覚していなければならないという、魅力的でありながらも多面的な論証を要する考え方にたどりつくのだが、これを現に実践しているかのように見えるのが、オープンダイアローグやリフレクティング・チームといった、革新的なケア実践である。


© Michio Miyasaka 2014